充実した生活ってどういうことなんだろう

日々思うこと

ここ最近立て続けに退職者が出たことで仕事が忙しくて、家に帰ってもご飯食べて、お風呂入って、家事して寝るみたいな生活が続いています。週末は出掛けてリフレッシュしようと思っていましたが、いつもの如く、疲れているのと暑さのせいもあって、家で過ごすことにしました。

ゆっくりできる反面、また時間を無駄に過ごしている気がして、少し落ち込んでしまいます。昨日、ニュースで戦争を体験された方の特集をしていたのですが、お話を聞いていると、私の今の生活ってとても恵まれているし、毎日安全に暮らせていて、食べ物も着る物も寝る場所もちゃんとあるのに、なんでこんなに人生に落胆しないといけないんだろうと考えてしまいました。地震や災害の心配は常にありますが、差し迫った命の危険があるわけでもなく基本的には平和に暮らせているのに、何を求めているんだろう。

許容範囲内の望みであれば、ある程度は叶えられるという状況下にいると、何かを達成できないと過剰にストレスになってしまう傾向があると思います。選択の自由がありすぎると、人生への期待は大きくなり、平凡な自分に落胆してしまう。そう考えると、とても贅沢な悩みに思えてきます。

大きなことにばかりに充実感を求めるのではなく、自分や家族の生活を最低限守って生きていくことも十分充実した人生だと思います。小さなことに充実感や幸せを見出せるのって大事なことですよね。今は色んな情報が溢れすぎて、ちょっとやそっとのことでは、満足感を得るのが難しくなってきていますが、例えば「ご飯をうまく作れた」とか「おやつが美味しかった」とか「夕焼けが綺麗だった」とかそれだけでプラスの感情を得られたら、その人が感じる幸福度は上がっていくと思います。小さな充実感を無視して、自分を不幸だと思うのは凄くもったいない。

あと、私はどちらかと言うと、物事を論理的に考えがちなんですが、もっと本能的な感覚や感情に寄って物事を捉えることもプライベートでは大事なのかなと思います。文章を書くこともそうですが、結構理詰めで理解していくことが多いので、頭でっかちな思考に陥りがちです。たかが休日の過ごし方で落ち込む必要なんてないのに、頭の中で色んな考えを展開してしまって物凄く疲れます。ただ「ゆっくりできてよかった」「好きなことをして過ごせた」でいいのに、「こうあるべき」「こうすべき」という思考が強く、自分で自分の首を絞めてしまう。でも裏を返せば、私はまだ私自身に期待をしているということでもあると思うので、全てをネガティブに捉える必要もないのかもしれません。もっとバランスよく自分と付き合えればいいな。

そんなことを考えていると、人生を充実させるのって、充実の設定レベルでどうにでもできる気がします。人生を悲観せず、小さなことでも幸せや面白みを見出していく。そうやって素直に小さな充実を集めていけば、最後には「結構いい人生だったな」と思えるのではないでしょうか。人生良い時もあれば悪い時もありますが、落ち込んだ時は、自分に「大丈夫だよ」と言ってあげましょう。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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